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長崎を洗濯致したく候〜ダイエイは長崎の歴史・文化を守り、次の世代へ継承します。
ながさき歴史散策は、ダイエイが長崎学研究家の宮川雅一先生の許可を得て過去の作品を定期的に掲載しています。
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第1回連載 明治天皇と西郷隆盛の来崎
 
第2回連載 坂本龍馬と長崎
 
第3回連載 長崎奉行・松平図書頭康平のこと
 
第4回連載 長崎と坂本龍馬に深く関わった
薩摩藩家老・小松帯刀
 
第5回連載 斎藤茂吉と長崎
 
第6回連載 福澤諭吉と長崎
 
第7回連載 女傑の茶商人・大浦お慶はねずみ年生まれ
 
第8回連載 姿三四郎のモデル 柔道家・
西郷四郎
 
第9回連載 明治期・長崎における産業経済界の大恩人・リンガー
 
第10回連載 長崎水産業界の恩人・倉場富三郎
 
NHK大河「ドラマ龍馬伝」応援企画@
三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の初来崎
 
NHK大河「ドラマ龍馬伝」応援企画A
龍馬も出入りした土佐商会を作り高島炭鉱を経営
した後藤象二郎
 連載第6回 福澤諭吉と長崎
 
 
  1万円札でおなじみの福澤諭吉が長崎を訪れたのは、嘉永7年(1854年)2月のことであった。兄三之助の奨めで蘭学を志し、兄に同行して長崎に遊学した。最初に草鞋を脱いだのは桶屋町の向陽山光永寺。
ここが母方の里である中津藩家老の息子奥平壱岐がすでに遊学滞在中で、それを頼ったのである。

  中島川に面する山門横に、「福澤諭吉先生留學址・安政元年」(裏面「昭和12丁丑年5月・長崎三田會建之・小泉信三撰並書」)と記す石碑がある。
同寺の本堂は原爆で大破し、戦後再建されたものであるが、庫裏は当時のままで、諭吉が寝泊りしたという広縁も残っていて、私も「学さるく」で拝観させていただいた。

  しばらくして諭吉は、砲術家の山本物次郎宅へ移る。
そこは当時、町司(使)町といわれた、現在は出来大工町の区域内で、大井手町に近接する一画である。
ここには、地役人で奉行所などの警護を役目とする町司(使)達の居宅が並んでいて、町乙名が支配する
大井手町や出来大工町とは、木戸で隔てられた地役人の別天地で、山本物次郎はその頭取であった。
諭吉は、ここに居候して、家事も手伝いながら砲術や蘭学の勉強をしたのである。道路敷(市道)に当時の共同井戸が残っていて、ここには「福澤先生使用之井・安政元年」(裏面「昭和12丁丑年5月・長崎三田會建之・小泉信三撰並書」)の石碑が建っている。

  諭吉の長崎滞在は約1年で、翌安政2年(1855年)2月、江戸を目指して旅立ち、大坂の緒方洪庵が営む蘭学塾「適塾」にとどまることになる。
長崎ではその頃、ロシア使節プチャーチンが軍艦3〜4隻を率いて通商を求めて長崎港に再々出入りしたり、オランダ東洋艦隊所属の軍艦・スンビン号が入港して、その艦長ファビウスが地役人や警備の黒田・鍋島両藩の家臣に海軍の初歩を教えたり、イギリス東インド艦隊司令長官スターリングが軍艦4隻を率いて来航し、日英和親条約を調印するなどしたりして、その対応に長崎奉行所は多忙を極めていた。
諭吉は、その奉行所に光永寺住職の年始あいさつにお供して出掛けたり、師匠の山本物次郎の代理として出島に出入りしたりして、当時わが国の外交最前線を見聞し、海外・国際問題に大きく眼を開かされたのであった。

  長崎奉行所立山役所が一部復元された長崎歴史文化博物館に隣接する諏訪神社境内の参道には、
平成10年(1998年)1月、長崎三田会によって「福澤諭吉先生の像」が建立され、毎年10月のおくんちに、長坂下の踊馬場で繰り広げられる奉納踊りを腕を組んで眺めている。
ちなみに、諭吉が長崎にいた安政元年(1854年)のおくんちには、諭吉が住んでいた桶屋町も町司町に隣接する大井手町や出来大工町も、船大工町・本石灰町などとともに踊町として参加している。

                                                  長崎都市経営研究所所長
                                                  長崎学研究家 宮川 雅一

 
<プロフィール>
宮川 雅一 (みやがわ まさかず)
昭和 9年生れ
長崎市に生れ勝山国民学校→長崎中学校(新制)→長崎東高等学校を経て
昭和32年 東京大学法学部卒
昭和54年 長崎市助役
昭和62年 長崎都市経営研究所所長
著書には「長崎散策〜歌碑歌跡を訪ねて」・「斉藤茂吉の歌碑歌跡を訪ねて」・「向井去来の句碑足跡を訪ねて」などがある。
近年は、学さるくをはじめ文化継承活動にも精力的に活動なされている。
 
 
 
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