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長崎を洗濯致したく候〜ダイエイは長崎の歴史・文化を守り、次の世代へ継承します。
ながさき歴史散策は、ダイエイが長崎学研究家の宮川雅一先生の許可を得て過去の作品を定期的に掲載しています。
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第1回連載 明治天皇と西郷隆盛の来崎
 
第2回連載 坂本龍馬と長崎
 
第3回連載 長崎奉行・松平図書頭康平のこと
 
第4回連載 長崎と坂本龍馬に深く関わった
薩摩藩家老・小松帯刀
 
第5回連載 斎藤茂吉と長崎
 
第6回連載 福澤諭吉と長崎
 
第7回連載 女傑の茶商人・大浦お慶はねずみ年生まれ
 
第8回連載 姿三四郎のモデル 柔道家・
西郷四郎
 
第9回連載 明治期・長崎における産業経済界の大恩人・リンガー
 
第10回連載 長崎水産業界の恩人・倉場富三郎
 
NHK大河「ドラマ龍馬伝」応援企画@
三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の初来崎
 
NHK大河「ドラマ龍馬伝」応援企画A
龍馬も出入りした土佐商会を作り高島炭鉱を経営
した後藤象二郎
連載第5回 斎藤茂吉と長崎
                                              
                  ふとぶえ
朝あけて船より鳴れる太笛の
                         な
                     こだまはながし竝みよろふ山   茂吉
 
 
 これは、長崎市役所近くの桜町公園に建つ日本の代表的歌人・斎藤茂吉の歌碑に刻まれた長崎港を詠んだ本人自慢の作品である。この歌碑は、昭和31年(1956)10月、長崎アララギ同人達が、茂吉寓居のあった東中町54番地(現・上町)が近いことから建立したが、風化が激しく同51年(1976)4月、小振りに建て替えられた。

  斎藤茂吉は、明治15年(1882)5月14日、山形県南村山郡金瓶村(現・上山市金瓶)の守谷家の三男に生まれ、東京に出て精神科医・斎藤紀一の婿養子となる。シーボルトの研究で有名な恩師の呉秀三東大教授の指示で、長崎医学専門学校教授となり、長崎に3年3ヶ月滞在し、医学教育・研究のかたわら、高谷寛、大久保日吐男、前田毅、大塚十九生などの医学生らをはじめ・土橋青村、渡辺与茂平(庫輔)、松本松五郎、原美智子などの地元の人々に短歌の指導をおこなった。

  この間、郷土史家の古賀十二郎、長崎県立長崎図書館長の永山時英、長崎高等商業学校教授の武藤長蔵らと親交し、長崎の歴史に親しみ、市内外にある神社・仏閣・教会や名所旧跡に足を運んで短歌を詠んでいる。その一方で、当時世界的に大流行したスペイン風邪に罹り、結核にも悩まされ、長崎県立長崎病院(現・長崎大学医学部付属病院)西2病棟7号室での入院生活や雲仙、唐津、古湯、西浦上六枚板の金湯、小浜、嬉野の各温泉での療養生活を体験している。その、病気見舞いに、同じアララギ派歌人の島木赤彦、平福百穂(日本画家)、土屋文明が長崎を訪れ、また、たまたま来崎した芥川龍之介、菊池寛、与謝野鉄幹、与謝野晶子、吉井勇との面談の機会を持った。

  茂吉が正式に長崎に赴任したのは、大正6年(1917)12月18日、午前5時5分着の急行であった。その前の11月7日から13日にかけては、下打合せに来崎している。今町(現・金屋町)・みどりや旅館に投宿。翌朝、そこの窓から長崎港を眺めて、前記の短歌「太笛」が詠まれたのである。

茂吉の歌碑は、市内にもう1基ある。寺町・興福寺の山門を入ったところである。


                      長崎の昼しづかなる唐寺や
                                  おもひいづれば白きさるすべりのはな  茂吉
 

昭和36年(1961)、興福寺保存会が建立した。この短歌は、帰京後に長崎を回顧して詠まれたもので、
茂吉は長崎でも白や赤のさるすべり(百日紅)の花の短歌を詠んでいる。なお、茂吉が長崎を離れたのは、大正10年(1921)3月16日、午後11時・長崎駅発の列車であった。

                                                   長崎都市経営研究所所長
                                                   長崎学研究家 宮川 雅一
 
<プロフィール>
宮川 雅一 (みやがわ まさかず)
昭和 9年生れ
長崎市に生れ勝山国民学校→長崎中学校(新制)→長崎東高等学校を経て
昭和32年 東京大学法学部卒
昭和54年 長崎市助役
昭和62年 長崎都市経営研究所所長
著書には「長崎散策〜歌碑歌跡を訪ねて」・「斉藤茂吉の歌碑歌跡を訪ねて」・「向井去来の句碑足跡を訪ねて」などがある。
近年は、学さるくをはじめ文化継承活動にも精力的に活動なされている。
 
 
 
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